水道哲学

蛇口を捻れば水が出てくる。これが水道哲学だ。
蛇口を捻る人は、汚い河からどうやって飲める水を作っているかやフッ素の他に何か変なもの…例えば洗脳の為の薬品が入っていることなどは全く知らなくていい。
水が飲みたいなら?そう、コップを下に持っていって蛇口を捻ればいいのだ。とっても簡単だ。

しかし、問題は無人島にお気に入りの蛇口を持ってバカンスに行く場合だ。 あなたが何故無人島へ行くのかは知らないけれど、無人島であっても水は必要だ。そうでしょ?
あなたは最初に、水道管を砂の上に刺すだろう。その上に取り付けた蛇口を捻ると、あなたの意図に反して水は出ない。
これが水道哲学の弊害だ。バカでもチョンでも蛇口を捻れば、水が出ることと引き換えに何か大切なものを失っている。

上の例を読んで、そんなことをするアホはいないと思っているのなら、それは間違いだ。
バカバカしい話に見えるかもしれないがこれは単なる例であって、現実にはもう少し複雑なのだが、概ねこの通りのアホが何人も存在している。